■ たびあるき手帖 ■

いまここにある どこかべつのばしょ
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フランスへの道 留学記をアップしました
長い間ご無沙汰していました。
1年間このブログをお休みしている間も、いろいろな国に行っていました。

今年の夏、ちょっと思うところがあってフランスに短い留学をしました。

その時の記録をまとめてアップしています。
お時間があるときによかったら読んでみてくださいね。

<フランスへの道>

パート1
http://blog.izoomi-m.com/?cid=42704

パート2
http://blog.izoomi-m.com/?cid=42748

パート3
http://blog.izoomi-m.com/?cid=42749


留学序章 50歳プロジェクト
30歳になるとき。29歳の私は激しくあせった。
仕事で何を残せているわけでもなかった。不完全燃焼の日々の中で、結婚はどうするのだ、子どもはいつ生むのだ、そもそもこれから先、お前はどうするつもりなのだという周囲からの声に押しつぶされそうになっていた。
そして、30歳を迎えた誕生日の日、私は激しく落ち込んだ。
30になってしまった。もう30なのだ。
なんとかしなくちゃ、でもどうしたら?


あの焦燥感は一体何だったのだろう。
1990年代のあのころ、31で結婚した私は「晩婚」と言われ、34歳の出産は「高齢出産」だと周囲に心配された。24歳を過ぎた女性は「売れ残りのクリスマスケーキ」と揶揄された時代だ。何だったんだよ、ったく。
時代は変わっていくのだ。31歳の結婚を遅いという人が、今どこにいる? 34歳で母子手帳に○高なんていうはんこを押す医者が、今どこにいる?
今なら、あんな風に不安や焦燥を抱えることなく、私はもっと穏やかに30歳を迎えたかもしれない。とにかく私が30歳になったのはそんな時代だったのだ。

それから10年が過ぎて、私は40歳になった。
30歳のとき、この先39歳の誕生日を迎える時が来たら、私は同じようにあせったり、不安を感じたり、落ち込んだりするのかもしれない、と思っていた。年代が変わるとき、人は大きな切り替えポイントを乗り越える、衝撃のようなものを経験するのだ。きっとそうだ。

ところが、実際に39歳になった私には、不安も焦燥感もなかった。40代は私の少し先で、たおやかに心優しく手招きをしていた。早くこっちにおいで。こっちはいいよ。ずっとずっとラクになるよ。そして、いいことがこれからたくさんあるに違いないよ。

29歳の私と、39歳の私を大きく隔てていたもの。今思えば、それは先を歩く人たちの存在だったのだと思う。29歳の頃、私の前には結婚して子どもを生んで家庭に入った女性か、ルーティンワークの仕事をこなす少数の先輩女子社員がいるだけだったけれど、30代で仕事をやめたあとに出会った人たちの中には、私にとってロールモデルとなる女性たちがたくさんいた。40代っていいもんだな。彼女たちを見ていたら、40歳になるのはすごく楽しみだ。
そう思いながら過ごした30代の先に待っていた40歳の誕生日を、私はともだちと盛大にお祝いをした。
そして私は多くの国を旅して、多くの人に会い、むさぼるように映画を観て、コンサートや美術展に赴き、こつこつと働き、そして離婚をして必死に子どもを育てた。よい40代だった。

そんな40歳の誕生日から、もう9年が経ってしまった。来年、私は50歳になる。そして、その50歳になる時を、40歳の時とはまた違った思いで待っている自分がいる。
50歳はきっといいもんだ。50歳になるのはすごく楽しみ。
でもそこにあるのは40歳になったときのようなわくわく感や幸福感とは違う、ある種の決意や覚悟を秘めた思いだ。まだまだ先は長く、先を行く人たちがたくさんいるのだとしても、人生を半世紀生きたら、残りの人生はもういつピリオドを打たれてもおかしくないのだ。50の声を聴いたとたんに先を急いで逝ってしまった人たちの顔を思い起こすにつけ、50歳を過ぎたら、自分の人生にケジメをつけなくちゃならんと思うようになった。

自分より先にいる人をお手本にして勇気をもらってきた分、今度は自分があとに続く人に「50歳になるのが楽しみだ」と思ってもらえるようなロールモデルにならなくちゃいけない。
50を過ぎてまだなお、「本当はあれがしたかったのに」とか、「もっとこうしておけば」「あのときああだったら」なんてかっこ悪いことを言う人間になりたくなかった。
半世紀を一区切りに、やりたかったのに手をつけられなかったこと、忙しさや家族を理由に先延ばしにしてきたこと、勇気がなくて踏み出せなかったことに手をつけよう。

47歳になった日に、私のそんな「50歳プロジェクト」が始まった。


その50歳プロジェクトの筆頭にあるのが「フランス語を話せるようになる」だ。
人生が終わる前に、一度でいい。流暢にフランス語をしゃべる自分を体験してみたい。フランス人とジョークを言って笑い合う自分の姿を見てみたい。なんの目的があるわけでもない、たったそれだけ。でもそれは、20代のときから私が心のどこかで夢見たまま、何一つ努力をしてこなかったことだ。50歳までにその最初の一歩でもいいから踏み出したいと思った。

不思議なものだ。本当に一歩を踏み出そうと決意してみると、物事は何かと動き出す。ひょっこりとフランス語の学校が家からそう遠くない場所にみつかり、そこに通ううちに、そこに小さな留学プログラムがあることを知った。1週間だけ、フランスの田舎にホームステイをしながら語学を学ぶ。
自分の暮らしのスタイルが確立してしまった40代の自分が、誰かの家にホームステイなんてできるんだろうか。そもそも、留学できるだけの語学力が今の自分にあるのか?
少し前の自分だったら、最初の一歩は踏み出せなかったかもしれない。でも、これはなんといっても私の「50歳プロジェクト」なのだ。

勇気を出して出かけたフランスのモンバールには、私の人生観をも変えるような体験がたくさん待っていた。
これまで多くの国を旅してきたけれど、たぶん、それは単なる「旅」だったのだということを私は初めて思い知った。「暮らす」という目を持ってみて、はじめて見えてくるものがある。たった1週間だったけれど、当たり前の暮らしの中にあるたくさんの大切なことを、私はこの日々で学んだ気がする。
これは私のそんな小さなフランス留学の覚書です。
留学初日 モンバールへの道
7月18日(土)

パリには何度も来たことがある。でも空港から一人で列車の旅をしなくてはならないというと、話は別だ。TGVの駅がどこにあるかもわかっているし、何度もヨーロッパを列車で旅したことがあっても、やはり緊張はする。行き先の違う列車に乗ってしまったらどうしよう。目的地を乗り過ごしてしまったら? お目当ての列車が遅れたり、トラブルがあったらどう対処したらいいんだ。こんな時は、生来の気の小ささが首をもたげる。ああ、肝っ玉ちっちゃええな、私。

なるべく荷物を少なくするつもりが、一週間とはいえ留学しに行くのだという気負いが勝って、私のバッグの中にはPCと一眼レフカメラ、電子辞書からフランス語の動詞変換のテキスト類が詰め込まれている。スマートに空港を移動したいという思いとうらはらに、列車の時刻を確かめようとチケットを出そうとするだけで、スーツケースと大きなカメラバッグを手に大汗をかく自分がいる。情けない、かっこ悪い。いや、そんなことを言っている場合ではない。とにかくモンバールまでたどり着くまでは、なりふりなど構っていられるか。



いつも思うのだが、パリの空港というのはどうしてこう殺風景なのだろう。CDGの国際線ターミナルは、今年に入ってちょっとはマシになったが、これだけの大都市の空港の中にある列車の駅には、長い待ち時間をつぶすためのレストランもカフェも、待合室もろくなものがない。不恰好にショルダーバッグにカメラバッグ、スーツケースを抱え込み、12時間の飛行機の旅で目の下にクマを作った状態で、ここでどうやって、2時間というタイムラグを過ごせというのだ。

座る場所がみつからないので、仕方なく列車の時間が表示される掲示板が見える場所の壁に寄りかかって自分の場所を確保する。列車がどのホームから出発するのかは、この掲示板に頼るしかなく、2時間後に発車する私が乗る予定の電車の表示は、まだまだ出る気配すらない。
一人旅は嫌いではない。気の合わない人と無理して数日行動をともにするぐらいなら、一人きりのほうがラクであるとも思う。それでもこんな時、「どこから出るんだろう」「このホームでいいのかな」なんて台詞を言い合える相手がいるだけで、どれだけ気がまぎれるかと思う。
たった一人で異国の地に立つと、しゃべること、誰かとさもないことを確認しあうことが、日々の自分のこころをどれだけ支えているのかということに気付く。おしゃべりの力は偉大だ。ああ、おしゃべりがしたいぞ。
とりあえず誰もいないんだよ、仕方ねぇ。「いったいいつになりゃ表示が出るんだよ」。自分に向かってぶつぶつ独り言を言いながら、TGVの駅の中を居場所を探して放浪する。



パリからモンバールまでは、TGVで1時間ほどだ。何度来ても驚くのは、パリから列車に乗って30分もたつと、農地と広大な自然と小さな石造りの古い家々が立ち並ぶ田舎の景色が車窓に広がりだすことだ。
日本人に比べて、フランス人はことあるごとに「田舎暮らし」の素晴らしさを強調する。「田舎より都会のほうが便利だし暮らしやすいでしょ?」と反論し続けてきた私だけれど、この国に来ると、「田舎」というものが何を指しているのかが、日本人のそれとは決定的に違っていることがわかる。ここにある「田舎」は、とてつもなく身近にある、とてつもなく豊かで広大なものだ。そんな田舎に、これから私は1週間滞在することになる。

モンバールの駅には、クロディーンが迎えに来てくれていた。到着したのは夜の8時を過ぎていたが、この時間は夏ではまだまだ明るい。スーツケースを車に積み込み、案内してくれた彼女の家はこざっぱりと整えられた、古い修道院を改築した心地よいアパルトマンだった。ホームステイとはいえ、私の暮らす場所にはキッチンもシャワーも寝室も完備されていて、きっちりとプライバシーが確保されている。小さな部屋をひとつ与えてもらうだけだと思っていた私は、ここでちょっと元気を取り戻す。





 
 

クロディーンが簡単な夕食を準備してくれた。今日はこれでゆっくり休んで、明日の9時からレッスンを始めるわねという。





クロディーンはとても腕のよい料理人でもあるのだ、と日本でもさんざん耳にしてきた。初日の夕食を前に、それがまぎれもない事実だったことを知る。とはいえ、長旅で胃もくたくただ。お肉は半分だけいただいて、残りを冷蔵庫にしまってもらう。ブルゴーニュのワインまでいただいて、ほろ酔い加減になると、猛烈な眠さが襲ってきた。

さて。あれほどおしゃべりに飢えていた私だったが、モンバールの駅に到着した瞬間から、私のおしゃべりはすべてフランス語で行われている。おしゃべりは日々の心を支えている、と前に書いた。でもそのおしゃべりをフランス語でずっとしなくてはいけないとなると?

一週間の苦難はここから始まったのでした。
留学1−1 はじめての朝
7月19日(日)−1
 
一日目の朝食は、クロディーンととることになっている。授業は9時にはじめる。だから8時に朝食を持って来るから、と言ってクロディーンが昨夜部屋をあとにしたことを思い出し、7時にぼんやり目覚めてから、8時までの時間をどう過ごすのかを必死に頭で割り振る。えっと、化粧はしておいたほうがいいのか? コーヒーって勝手に入れて飲んでいいんじゃろか? シャワー浴びたら時間が足りないかなあ。

デートを待つ20代の女子のような気分だ。
考えてみれば、親元を離れて暮らしてもう25年近く経つ。自分の家で、思うとおりの食事を作り、自分で決めた予定で勝手に忙しがっているのが、主婦という立場なのだと改めて思い知る。
子どもが、夫が、家族がと言い訳しているが、結局は日々の暮らしのリズムは主婦の独裁下にあるのだ。そんな時間を長く過ごしてしまうと、「はじめての誰かの家で、誰かのリズムに合わせて暮らす」ことが、思った以上に大仕事であることに気付く。

そわそわ、あたふたしながら、この緊張感は悪くないと考える。ある意味凝り固まってしまった自分のライフスタイルや価値観は、50ちかくになって一人で海外でホームステイするぐらいの体験をしないと変わらないのだ、きっと。うん、こりゃいいぞ。
そんなことを能天気に考えていたのは、初日の朝まで。凝り固まった日常を打破するってことが、どれだけ大変なことなのかは、このあと十分わかっていくのでありますよ。

 

さて、朝ごはんの風景は、この後1週間を通して、それはそれは幸せなものだった。クロディーンお手製のジャム、コンフィチュール。大きなボウルのカフェオレ。そして朝早くから開いているモンバールの街のパン屋さんから買ってきたおいしいパンのあれこれ。市場から届く果物。

「私は日曜日だけ朝食にクロワッサンを食べるの。あとはフランスパンと、たいていこんな感じ。フランスではスープやハム類など、朝に塩気のあるものは食べないの。さあ、明日からは全部冷蔵庫やこのパンケースに入れておくから、自分で準備して食べられるわね? おやつも果物もたくさんあるから、お腹が空いたらいつでも食べて」



そしてこれが私のキッチンの食器棚。ハーブティにコーヒー、ジュースにワイン、クッキーにチョコレートにジャム。。。。。ああ、なんて幸せ。これから1週間の滞在の不安感も、こんな風景で癒される。食べ物の力は偉大だねえ。

朝食はとても大切なものだ。でも、その朝食を準備する手間ヒマもよほどのものだ。特に家族がいれば。
日本の主婦雑誌などで紹介されている「栄養バランスがよい」とか「これなら子どもが食べてくれる」朝ごはんの献立を見るたびに、なぜもっとシンプルに考えられないのだろうと思う。そもそも、にんじんを花形に切ったり、毎日おかずを変えなければ食べてくれないなんていう子どもにおもねる必要がどこにある。食わねえなら、食わんでよし! ふざけるなと子どもたちには言いたい。シンプルに定番。余計な手をかけなくたって、朝ごはんはちゃんといただけるのだ。
ヨーロッパを旅すると、朝食の合理性にいつも感心する。冷蔵庫を開けてね。パンカゴを見てね。コーヒーや紅茶を入れることさえでいれば、それだけで誰だって豊かに朝ごはんを食べることができる。ドイツに滞在したときだって、朝からコンロを使って調理する人なんて誰もいなかった。冷蔵庫とケトルかコーヒーメーカーさえあれば、ちゃんとうまい食事は準備できる。いいじゃん、これで。
私の滞在中の朝ごはんは、ずっとこんな感じだった。そして、毎朝しごく幸せだった。


留学1−2 はじめての授業
7月19日(日)−2



9時からフランス語の個人授業が始まる。レッスンはこのサロンで。朝日が差し込んで気持ちがいい。とはいえ、一日に3時間も勉強したなんて記憶は、はるか彼方だ。だいじょうぶなのか、自分。

「まずは1週間の予定を決めよう」とクロディーン。
この留学プログラムは、週に5日午前3時間の授業がある。午後はこのうち3日間、クロディーンと出かける。残りの2日の午後は自由時間だ。さらに、水曜日は一日フリーになる。
授業は1週間で合計15時間だが、クロディーンと一緒に食事を取ったり、午後にさまざまな場所に出かけて地元の人と交流することで、フランスの暮らしを体験しながら実際にフランス語を使う。その中で、語学の力を伸ばすのだという。さらに水曜日はフリーだから、一人で電車に乗って近隣の街に出かけることもできる。留学するというよりも、さまざまなイベントがつまった旅のようで、ちょっとわくわくする。

午後に彼女とでかける場所は、自由に選ぶことができる。だから、それをまずは決めてしまおうというわけだ。事前に私の仕事や好きなものは伝えてある。それに合わせて彼女は、フランスの青空市でもある「Vide Grenier」に行くとか、隣の街に住むアーティストの家で食事をするのはどうだろうとか、BIO(有機栽培)のマルシェに出かけて食材を買い、料理を作ろうといった提案をしてくれる。
おお、どれも魅力的―。

とはいえモンバールに到着してまだ一晩寝ただけ。なんだか素敵な提案だということはわかるのだが、周囲の様子もわからないのでまったく実感はない。とりあえず、「そりゃ行ってみたい!」「ぜひ食べたい」「なんて楽しそう」なんてことを叫びまくって予定を決める。


いや、しかし。

ここまでの道のりを私はフランス語だけでやっているのだ。
えらいじゃないか。

でも、忘れてはいけないのは、クロディーンは経験豊かな語学の先生だということだ。彼女のフランス語はゆっくりと確実に、丁寧に発音されている。しかも、使われている単語はとても初歩的なものばかりだ。ここでフランス語が少々できるような錯覚に陥ってはいけない。自分がどれだけへなちょこか、どれだけしゃべれず何の役にも立たないのかとうことを、これからいやというほど思い知ることになるのだから。


初めてのレッスンはこうして始まり、私はまずフランス語で自己紹介をするように促された。仕事は何をしているのか。今の仕事の前は何をしていた? 家族は? 好きなものは? 
すぐに言葉につまる。えっと、何と言うのだっけ。単語が思い出せないよ。

うーーーーーん。

押し黙る私に、彼女はこう言って先を促す。
「話すのを止めないで。大事なのは正しく作文することじゃない、コミュニケーションなの。難しく考えないでいい、知ってる言葉を単語で並べてもいいから、伝えようとしてみて。フランス人はとても早口で、会話が止まってしまうことを嫌がるの。あなたがそうして言葉に詰まっている間に、ほかの人はどんどん別の話題に進んでしまうわよ。フランス人とコミュニケーションをしたいなら、間違っていてもいいからとにかく話し続けること、それも早く!」

前夜にこの場所に到着してからというもの、私はクロディーンの話すフランス語を聞き漏らすまいと、なけなしの集中力を使って頭をフル回転させてきた。もう脳みそはへとへとだ。そこに容赦なく
「Vite! VIte! N’arrete pas!」(早く、早く。止まらないで)の言葉が追いかけてくる。

ひぃー!

一日目のレッスンは、そうして脳みその悲鳴が鳴り響く中でやっと終了。おう、へとへとだぜい。脳細胞が壊死してるのではないか、と思うほど頭の芯がぼーっとしてくる。こんな頭の使い方をしたのは何年ぶりだ。よれよれだ。
前日の長旅の疲れも首をもたげるが、そうも言っていられない。昼食をとったらVide Grenierに出発だ。ほれいけ、ほれ出発の準備だよ、自分。



クロディーンは「20分で戻る」と言い残して階上にある彼女の家に消えたのち、うまそうなサラダとハムの皿をかかえて戻ってきた。

滞在中を通して痛感したのは、彼女の用意する食事の絶妙なバランスのよさだ。長旅のあと、一日中移動が多くなるこんな日には、このぐらいの軽さの昼食がとてもうれしい。脳みそを使い果たし、体力のストックもあまりない状態で重くてボリュームがある食事を取ると、体力も気力も奪われてあとが続かなくなる。彼女はとても腕のよい料理人だったけれど、このあたりの相手を見据えたバランスの良い心配りが、とても素敵な人だったと思う。旅を終えて帰国してからも、とにかく彼女の料理を思い出す。うまかったなあ。



さて、こうしたサラダとハムの簡単な食事であっても、ここが美食の国フランスであることを教えてくれるのは、食後のデザートたちだ。冷蔵庫から出てきたのはトレーに乗った7種類のチーズ。シェーブルにロックフォールにブリー、その他はじめて見るチーズの山と格闘し、フルーツに手をつけた時点でもうお腹は心地よくいっぱい。
さあ、20分後に出発しましょう。
へい!
なんかよくわからないけど、とにかく出かけるのだ。
出発だー。
留学1−3 ボランティアとベネヴォリズ
7月19日(日)−3

前知識がまったくないままに、とにかく青空マーケットというおもしろいものがあるのだとういう場所に車で移動する。広大に続くブルゴーニュの田園地帯を抜け、小さな石造りの民家が集まる集落を時折通り抜けながら、たどり着いたのは「ロシュフォール城」だ。



朽ち果てたように見えるが、この城は周辺の住民たちの手によって、長い時間をかけて修復されているのだという。今日のような日、城にはその有志たちが集まって、中を特別公開してガイドをしてくれるらしい。ガイドが始まるのは午後3時からで、それまでは勝手に中に入ることはできない。仕方ないので、入り口の手前にある小さなスペースで、修復の様子をまとめたビデオを見ることにする。

フランスには、遺棄されて荒れ果ててしまった小さな城がたくさんある。古い建物を維持するのには莫大なお金がかかり、自治体ではとうていまかなえない。この城も、持ち主がこの地を捨てて新しい城に越してしまったのち荒れ放題になっていたところを、地元の有志が少しづつ修復を続けているのだそうだ。フランス人はとにかく、古いものが大好きで、古いものを大切にする。手弁当で集まったこうした人たちのことを、フランス語ではbénevolise という。

日本でよく使われるボランティアとは、本来は報酬を受け取る仕事のことだ。私は学生時代に長いこと、アメリカ系のキリスト教団体の児童図書館でボランティアで読み聞かせををしていたが、ここでもきちんと毎月報酬をもらった。市井の基準よりはずっと少ないけのだれど、とにかく何がしかは必ず支払われる。
その会の代表をしていたシスターは「あなたが分けてくれた時間とスキルに対して、きちんと報酬を払うのは当たり前のこと。ボランティアというのは本来そういうものです」と繰り返し言い続けていたことを思い出す。
その人の特殊技能や貴重な時間を割いてもらうかわりに、きちんと報酬の計画を立てるのがボランティア本来の思想で、その意味では日本の自治体などが体よく呼びかけるボランティア活動というのは、本来の意味を履き違えていると私は思う。予算を計上しなくても都合よく動いてくれる人手という意味で「ボランティア」を美化する役人がいるとしたら、本来の意味のボランティア活動というのを、きちんと体験してきれおくれ、とよく思う。

このロシュフォール城を直している精神は、だからボランティアではなくて、ベネヴォリズ。ベネヴォリズはあくまで、自主的な行為だ。誰かに要請されるものでも、誰のために行われるものでもない。自分たちが直したいから、直す。
そんな彼らの修復風景は、見ていても微笑ましくて楽しい。ちょっと何かが直るたびに、お城で仮想をしてパーティを開いてみたり、パン焼き釜を直して、ピザをふるまってみたりする。誰かのためではなく、自分たちが楽しむためにこうした活動をできる彼らは、人生を楽しむ才能を持っているとつくづく思う。こんな風に楽しむ人たちがいて、古いものが修復されていく。ええこっちゃね。

そんなお城のストーリーはこのHPでも見られます。
http://les-clefs-de-rochefort.com/index.html


3時になり、そんなベネヴォリズの一員が私たちを城の中に案内してくれた。
さて、困った。
ガイドの兄ちゃんは、語学の先生ではない。

わからん、ちっともわからん、フランス語がっ! 
しかも、一箇所で行われる説明の長さが半端ではない。城の歴史、建築様式、この地方で起きた出来事などを延々と説明している(らしい)。あかん。脳みそがさらに壊死寸前じゃ。

とりあえず、兄ちゃんが延々としゃべった内容を、クロディーンが要約して耳元で伝えてくれる。うむ、それでもようわからん。でも、わからんと彼女に伝える暇もなく兄ちゃんはしゃべり続けている。かくして同時通訳ならぬ、同時要約状態が延々と続くことになる。



例えば、この井戸はどうやら二つの城の塔をつないでおり、途中にある隠し扉を開けると地下に大きな部屋があるのだということらしい。それは敵が攻めてきたときの避難経路であったかもしれず、一方では気温が安定しているために暖房のない時期は地下で暮らしていた人がいるのではという節もあり、さらには宝を隠していたのではないかとも言われている。ほおお、と30人ほどいる見学者は井戸の中を覗き込む。

確かにこの手の話はおもしろい。しかし、しかしだよ。

日本人である私は、ある種の驚きを持ってこの風景を眺めている。30人ほどいる見学者はほとんどが家族連れで、小さな子どももいれば思春期の息子や娘を連れている人もいる。その誰もが、こんな何もない廃墟の前で延々とただ語られているだけの歴史物語に、じっと耳をすませて動かない。



ふらふらと集団を離れていく人はいない。どこかでうずくまってしまう人もいない。何よりも、思春期にあるような男女がガイドの目を見ながら話を聞いている。取り立てて何でもないような石の塊を前に、あのファザードはゴシック風だがこっちはロマネスク、なんて説明を微動だにせず受け止めて、笑を取るところではちゃんと笑ってみたりもする。

このガイドツアーが終わって腕時計をみて、さらに驚く。
5分もあれば回りきれてしまうような広さの中、終わったのは4時30分。つまり、1時間半ガイドがしゃべり続け、人々は立ったまま熱心に聴き続けていたことになるのだよ。信じられる?
日本だったらさしづめ、子どもはどっかに行ってしまい、そんな子どもを追いかけて「もう帰ろうか」と数枚写真を撮ったところで親も場を去り、思春期の子らはうざったそうにしゃがみこみ、ガイドに敬意を払って目を見てちゃんと話を聴く人なんていうのは、数えるほどしかいないだろう。


あまりに長いガイドの話を聴くうちにフランス語の読解能力が潰えたので、私は途中から写真を撮ることに熱中しだしてみたのだが、周囲にカメラを構える人はほとんどいない。カシャカシャとシャッター音を響かせているのは私だけで、なんだか恥ずかしい気分になる。

“みんな写真を撮らないのね”とクロディーンに聴くと、「そうね、日本人は写真を撮りすぎね」と笑う。
「思うのだけれど、フランス人はバカンスが長くて、何もせずに同じ場所で休暇を過ごす人が多いのよ。日本は休みが少なくて、旅は非日常。その間にたくさんの場所を移動しようとするでしょう? 来たという思い出を残すために、とにかく写真を撮りたくなるのじゃないかしら。その意味ではフランス人はあまり写真を撮らないかもしれないわね。ほら、ここでもカメラをかまえている2人は、いかにもカメラ好きで一眼レフを持ってるおじさまばかりだものね」
“うん、そして私だね”



日本人である私は、決して日本が嫌いなわけではない。
でも、この日の城でのんびりガイドの話を聞いている人たちの、心底くつろいで楽しそうな表情を思い出すたび、今の日本は何かがおかしいんじゃないか、と思ってしまう。
人生を楽しむってどういうことなのか。今ある自分の暮らしと、自分の国を愛するってどういうことなのか。

何もない場所で古い建物を前に、ぼんやり楽しく誰かの話を聞いて満足できる。そんな自分でいること、そんな子どもを育てることが、日本でもできるようになりたい。休日の遊園地やショッピングセンターの風景を思い出して、そんなことを思ったロシュフォール城なのでした。
留学1−4  Vide Grenier
7月19日(月)−4

長い長いガイドの話を聞いたあとは、城の前で開催されいてるVide Grenierに寄るよ。

これは日本でいうフリーマーケットのようなものなのだ、とはこちらに来る前からちょっとは聞いていた。
ふーん、フリーマーケットか。
東京の外苑前だとか砧公園なんかで開催されるフリーマーケットの風景を思い出して、実は少々面倒だな、収穫はないんだろうなと思って足を運んだ自分がいる。私はフリーマーケットはあまり好きではない。見知らぬ誰かの生活の中で生み出された日用品の使い古しを、ただ安いというだけで安易に手に入れることに、あまり意味を感じない。回るなら一世代以上の時を経たものを扱う骨董市のほうがいい。何も買わなくても、見て歩く楽しみが骨董市にはある。

そんな私の思惑は、実際に城の前のVide Grenierを見て一気に吹っ飛ぶ。



なんたって、ここはフランスなのだ。
古いものが大好き、アンティークが大好きな国フランス。
普通の市民が持ち込むものが、すでにアンティークなのだよ。
もちろん、こうして出店している人の中にはアンティークの販売を生業にしている人たちも多い。でも、普通の家庭からやってきたようなおばちゃんが広げている店の中に、えも言われぬかわいい掘り出し物が混じっている。しかも、驚くほど安い。
ひゃあ、これはすごいぞ。

長いガイドのフランス語を聞き取ることで死に体になっていた脳みそががぜん活気付く。
重いじゃないか、持って帰れるのか、割れちゃうよ? なんていう思惑とうらはらに、「これいくら?」「これください」と店を回る私の横で、クロディーンも「このタジン鍋いいわああ」「それはお買い得よ、ぜひ買いなさい!」なんて活気付いている。



なんともいえない形と色が気に入ったオイル&ビネガーのポット。2個で1ユーロ!



小さいカフェオレボウルとタンブラのセット、これだけ揃って1ユーロ!
あかん、きりがない。東京で雑貨屋でもしている人には、きっとここはお宝の山だ。ああ、フランスってなんていいところなんだ!(笑)

さて、異様に脳みそが活性化したところで、私たちは移動しなくてはならないことに気付く。もうひとつ、Vide Grenierがある街があるのだ。早くそこに行かないと、店自体がしまってしまう。がちゃがちゃと戦利品をぶら下げて車に急ぐ。




車で20分ほど移動すると、今度は小さくてかわいらしい街に到着した。こちらのVide Grenierはもっと本格的で、町中が青空市と化している。飲食店や名産品の出店もあって、わくわくするような活気に満ちている。



あと30分ほどで店じまいになりそうだ。あわてて町の中をくまなく散策する。普通の家庭から持ち込まれたような雑貨類もあれば、アンティーク商の出店もある。歩いているとブルゴーニュ地方のシャンパーニュをふるまわれ、こんな素敵なはちみつ売りのおばちゃんに「ほら、食べていって」とはちみつ付きのパンを渡される。



パリが好きだという私に、これまで多くの人が「田舎を旅してみろ」と言った。その理由が今わかった気がした。フランス人が好んで使う sympa (気がおけないいい感じ)という言葉は、こういう時に使うのだろうと思う。「田舎よりパリ」とかたくなに言い続けてきたはずの私は、もうすっかりフランスの田舎町のとりこになりはじめている。



そしてここでも、フランス人の古いもの好きがいたるところに。何に使うのだ? 何の役に立つ? というような不思議なものも並ぶ中、私が買ったのは、4客で50セントという驚異的な値段で売られていた、カフェド・マキシムのエスプレッソカップ。



ごめんね、ソーサーがないのよ、だから50セントでいいわと、申し訳なさそうにきれいなおねえちゃん。とんでもございません。ありがたく買わせていただきます。4個で60円なんて、タダ同然だもの。



これはシュガーボウルよ。ほら、ここに砂糖を入れて、この穴の開いたスプーンを使えば、お菓子の上にまんべんなく砂糖を振ることができるの。
チャーミングなおばあちゃんの説明に惚れて、こちらは少々値の張る20ユーロ。でも、パリの骨董市なぞに比べれば、嘘のような値段じゃろ?
がっしりとしたガラスのポットはたったの5ユーロ。

隣ではクロディーンがばらの花柄のちょっとアンティーク風のカップをみつけて、「これこれ! まさに私はこういうのを探していたの!」と買い込み、さらにその先の店では、どう考えても自分で配線をして天井にビス止めをしないと使えなさそうな照明器具を買い込んでいる。
「このカップはね、入院している私のお友達のお見舞いに持っていくわ。きっと彼女、すごく喜ぶに違いない」
「照明は誰かにつけるのを手伝ってもらわなくちゃ」


古くても、少々面倒でも好きなものは好き。ブランドやお店の名前や、雑誌で流行ってるとかなんてことに関係なく、ちゃんと好きなものを見分けられる目を持つことは、とても大切なことだ。
「フランス人はこういうVide Grenierが大好きなのよ。私も、こういう中で使えるもの、気に入ったものを探して歩くのが大好き」

東京のフリーマーケットは苦手な私だけれど、ここなら何度来てもいい。6時になり、店が閉まり始めるまで、私たちはそこに居た。大漁だ! ほんとに楽しかった。
きゃあきゃあと学生のように騒ぎながらたくさんの荷物をかかえて家に戻り、戦利品をテーブルに並べたとき、再び
「どうやって持って帰るんだ」という現実に直面する。

まあ、なんとかなるやね。
よかった、よかった、とにかく楽しかった。
一日目はそんな風に、なんだかずっとハイテンションのままで終わっていった。
楽しくて、忙しくて、必死だった。
留学1−5  夏の日のパスティス
7月19日(日)−5

陽射しが強く暑い一日だった。
7時すぎに家に戻り、彼女はものの30分ほどで夕食を準備して降りてきた。すごいな、どういう魔法を使ったのだろう。

暑かったから何か冷たいものを飲もうと彼女が言う。たとえばパスティスなんてどう? 夏に私はたまに飲むの。ミントと一緒に合わせるとおもしろいわよ。
うん、それいただく!
……ほんとに? パスティスってどんな味がするか本当に知ってる?
知ってるもーん!



知ってるつもりだったパスティス。ミントと合わせるとこりゃまたすごいね。。。。。。
ちょっとだけ後悔しながら食卓につくと、スープのあとに、マスタードのソースで柔らかくソテーされた豚肉と、クスクス、ラタトゥイユの食事が出てきた。クロディーン、あなたは本当に素晴らしい料理人だと思う。




おいしく食べて、不思議なパスティスから解放されてブルゴーニュのロゼワインをいただいた時点で、昨日と同様、また強烈な疲れと眠気が襲ってきた。
とにかく、必死だから昼間は忘れているのだ。
きっと私の脳みそとからだは、どこかでひどく疲れているのだろうと思う。

とにかく、また明日から頑張ろう。


★モンバールパート2に続く

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